2006年02月11日

おじいちゃん、おばあちゃんの思い出はてなブックマークに追加はてなアンテナに登録はてなRSSに追加

1 - 名前:大人になった名無しさん [] 投稿日:03/12/15(月) 22:09

無いよね?まだ・・・
私にとって、思い出といえばおじいちゃんおばあちゃんなんだけど。
血が繋がってなくても、近所のおじいちゃん、おばあちゃんでもOK


関連記事
母親との思い出
http://blog.livedoor.jp/guideline/archives/50222330.html


おばあちゃん



20 名前:大人になった名無しさん:04/01/03 00:47
小さい頃田舎でボール遊びをしてて、
大事にしてたボールを裏の山で無くして
結局見つからずに、しょげながら家に帰ったのを
おじいちゃんが見てて、
2〜3週間後おじいちゃんが見つけて、
俺の家に送ってくれたのが
すごいうれしかった。
広い山の中で小さなボールを見つけるのってすごい大変だったと思うが


30 名前:大人になった名無しさん:04/01/17 17:49
働き者だった祖父。
花とか綺麗なものが大好きで、頑固だけど暖かい人だった。
最期の言葉は母に言った「死ぬのって怖いなあ」
後から聞いて、傍にいられなかったことを激しく後悔した。
もう一度会って謝りたい。


46 名前:大人になった名無しさん:04/02/12 17:17
昨年の正月、ばあちゃんが亡くなった。
その前年の年末、餅つきを手伝いに行ったんだよ。
田舎なんで、コンニャクとかも家で作るの。
しかも外で火を焚いてさ。
で、俺さ火を焚くの好きでね、火の番してたんだ。
無事、コンニャクもできて一服してたらさ
ばあちゃんが寄ってきて
「火ぃ見てんのもつらかんべ」 訳(火を見てるのも大変でしょう?)
って言うから
「火わすらと一緒だよ」 訳(火遊びしてるのと同じですよ。)
って笑って答えたら、ばあちゃんも「ヘヘッ」って笑った。
つきたての餅を食べて、車で帰るとき珍しくばぁちゃん縁側まで出てきて
ずっと、ずっと手を振ってるんだよ。
ちっちゃくって、なんかかわいくて、にこにこしてた。

ばあちゃん、俺はなんか気恥ずかしくて
「ばあちゃん」ってちゃんと呼んだこと無かったな。
ばあちゃん孝行もできなかったな。
ばあちゃんの打ったソバ大好きだったよ。
もう食べられないんだね。


55 名前:大人になった名無しさん:04/03/11 22:45
じいちゃんは寡黙で頑固だけど情のある人でした。
当時飼ってた犬が脱走した時も
見つかるまで一緒に探してくれたのはじいちゃんでした。
体調崩して救急車呼んだ時も担架に寝かされて運ばれるのが嫌で、
ばーちゃんとねーちゃんが止めるのも聞かず
自分の足で庭まで出ていくような人でした。
それから入退院を繰り返すようになり、そろそろ危ないから・・と
両親に言われて病院に見舞いにいった時、
チューブをいっぱいつけられて顔が膨らんだじーちゃんが俺に向かって
「じーちゃん苦しいわ」と言いました。
そのとき初めてじーちゃんの弱音を聞きました。
別の日に母親が見舞いに行ってて、いった家に帰ってきてた時に
じーちゃんは病室で一人で亡くなりました。
みんなは一人で逝かせてかわいそうだったって言ってたけど、
俺は自分の汚いところ、弱いところを見せたくない
じーちゃんらしいと思った。 明治生まれの男を感じました。


56 名前:better ◆GqkQxjAQB. :04/03/13 13:33
おじいちゃんへ
漁師をやっていたときのおじいちゃん、
凄くかっこよかった
俺もじいちゃんみたいになる!って猿のように喚いていたね
三年前やっと漁師になれた
でもじいちゃん俺が漁師になるまで待ってくれなかった
入院していたとき、本当は凄く苦しいはずなのに
俺が来るといつもにこにこ笑っててさ、
母さんからもう助からないって何度も聞かされたはずなのに
「もしかしたら」とか「あの調子なら大丈夫だろ」って思ってた
俺はガキだったから、バカだったから、
じいちゃんが死んでもちゃんとよく分かってなかった
いっぱい我が儘言った。 ごめんなさい
再び報告します。 俺漁師になれました そして来月、結婚します。


63 名前:闘魂:04/03/18 13:47
漏れのばあちゃんは、親父生む時
医者から心配されるほど体が弱かったらしい。

だから、盆と正月に田舎に行くといつも
「もう次は会えないんだろうねえ」
が口癖で思い残すことがないようにという気だったのか、
めちゃくちゃかわいがってもらった。
漏れは覚えてないが、おふくろによると、田舎から漏れ達が帰るときは、
ばあちゃんいつも涙流してたらしい。

でも、そんな人だから体に気を使ってたのか、
漏れが覚えてる限り、いつも元気で病気してるとこなんか見たことなくて、
90過ぎても自分のことは自分でしてたくらい元気な印象しかなかった。

・・・そんなばあちゃんが、こないだ入院した。
94歳の誕生日に見舞いに行ったら、
ベッドで管通されて寝てるばあちゃんが、なんだかすごく小さく見えた。
寝てたけど起こすのもなあ、と思って
しばらくばあちゃんのベッドの脇に立ってたら、ばあちゃん目を覚ました。
ちょこっと話をしたけど、ふとばあちゃんに
「おばあちゃんが死んだら
○○(漏れの名前)のこと一生懸命守るからね。」
って言われた。
なんか、ばあちゃんすごく遠くなったようで、ますます小さく見えて、
いたたまれなくなった・・・。

おばあちゃん、そんなさみしいこと言わないで・・・。早く元気になってね。

 

65 名前:大人になった名無しさん:04/03/20 16:44
ばあちゃんが亡くなって、実家へ帰ったら父親に
『弔辞を読む人が数人いるんだけど、
最後に孫のお前も読んでもらう事になったから』
と急に言われた。
弔辞なんてどういう事を述べればいいんだ?と全く無知だった私は、
下書き用のノートを目の前に悩んでいた。叔母に相談したところ、
ばあちゃんの思い出を書きなさいとアドバイスをもらったので
昔の思い出をあれこれと巡らせてみた。
夏の暑い日に学校からヘトヘトになって帰った私に氷入りでグラスいっぱいの麦茶をすぐに出してくれた事
お湯で溶いて冷やして作るゼリーを作ってくれたんだけど
分量を間違えて固めにできて
『ハイカラなの、作り慣れね。』とちょっと照れながら出してくれた事
私の結婚に母親が猛反対で
大喧嘩してる間に割って入って私を守ってくれた事
そして息を引き取る前までずっと
『あの子は母親に出て行けって言われて可哀想だった』
付き添いの叔母に言い続けていたという事
弔辞を書くより、ぼろぼろ涙が出てきて大変だった。
やっと書き上げたものをお寺で読み上げる時、
また泣きそうになってしまったけど頑張った。
その傍らで父親が声を押さえずに泣き出した。
そんな泣き方をする父親を見たことが無いと、母親は言ってた。

あれから2年、弔辞を書くために引っ張り出した思い出は
より一層私の心に残っている。


67 名前:大人になった名無しさん:04/03/29 17:04
自分が消防の頃、親やじいちゃんは農作業のため学校から帰ると家には
ばあちゃんしかいなかった。だから自然とばあちゃんっ子になった。

学校から帰ると丁度おやつの時間だったので
ばあちゃんはよくご飯の余りで塩だけのおにぎりを作ってくれた。
それがすごく好きで毎日楽しみに待っていた。
自分でも喜んで食べてたし、ばあちゃんも嬉しそう顔をほころばせていた。
でも中学生になって人並みに反抗期になりいつしかばあちゃんとの会話もまともにしなかった。当然おにぎりも食べなくなった。
親に反抗はしなかったけど代わりに
ばあちゃんに反抗してたんだなぁと今になって思うよ。

それが中3のある日、突然旅立った。
誰にもさよならを言うことなく風呂場で静かに亡くなった。
葬式中、もう会えない、謝ることも何かしてあげることも出来ない・・・
そう思った瞬間ボロボロと涙が出てきた。
死んだ直後や通夜でも泣かなかったに人目を考えず大泣きした。
多分今までの人生の中であれ以上に泣いたことは無かったと思う。

あの塩おにぎりが食べられないんだなぁと思うと今でも涙腺が潤んでくる。
あれ以上に美味いおにぎりは今でも食べたことが無いなぁ・・・


69 名前:カイ斗:04/04/27 03:28
昔、母方の祖父の家に見舞いに行き、少しボケてきて
体が不自由になった祖父を車椅子に乗せ川原へ散歩しに出かけて
暫くしてから家に帰り祖父をベッドに寝かせた時
私の手を握って「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」
と泣きながら何度もありがとうと言ってくれたあの時の
祖父の泣き顔と、強く握り締められた私の手の痛さとぬくもりを
祖父が亡くなって数年経つ今でも私は決して忘れた事はない。
そして、その時どんなにいい人もわるい人も
いつかは必ず死ぬことを改めて実感した。


74 名前:大人になった名無しさん:04/06/13 19:36
小学生の時熱がでて早退すると、
おばあちゃんが自転車で学校まで迎えに来てくれた。
遠いのにお医者さんにも連れていってくれた。
家から小学校が遠くて近くに友達がいないので、
夏になると学校のプールまで自転車でおくってくれた。
帰る時間になると、学校から少し離れたところで待っててくれた。
中学や高校に入って、帰りが遅くなると、駅から少し離れた街灯の明かりの下に自転車を持っておばあちゃんが立っていた。
いつ帰るかわからないから来なくていいよと言っても、
運動になるからといって笑っていた。
どれだけの間待っててくれたんだろう。。
大学で東京に行くことになっても、おばあちゃんのことだけが心配だった。
私がいない間に死んでしまったらどうしようと心配で仕方なかった。
でも生活にもなれてそんなことも忘れていた夏のある日、
なぜかお母さんから「おばあちゃんに電話してあげて」とメールが来た。
でもその時忙しくて、おばあちゃんは元気だったから
明日でもいいかなと思って電話しなかった。
そしたら次の日の早朝、おばあちゃんが畑で倒れて突然死んでしまった。
家に帰ったらもう通夜の準備ができていて、
おばあちゃんは冷たくなっていた。
毎日毎日泣いた。どうして電話しなかったんだろう。
おばあちゃんへの感謝やごめんねの気持ちを
手紙に書いたら14枚にもなった。
あんなによくしてもらったのに、
苦労かけたのに何ひとつお返しできなかった。
3年たった今でも夏の青い空を見ると、
この空の下のどこを探してもおばあちゃんはいないんだな、、と思う。


77 名前:祖父の思い出:04/06/23 03:15
私が2歳の時、両親の離婚により父方の実家に預けられた
実家は農家を営んでおり、牛・豚・鶏の飼育もしていた
私も必然的に手伝いをするようになり、
そん中で祖父母は非常に可愛がってくれた
決して裕福とはいえないものの、この生活が私には気に入っていた

中学にあがる頃になって祖父は「もう体がもたないから飼育はもう辞める」
と牛以外辞めてしまった
それから畜産の規模を縮小したものの、祖父はそれまで以上に働いた
それも跡継ぎである叔父の2倍も3倍も・・・・・・
「どうしてそんなに働くの?」と聞くと決まって
「わぁ(自分)さ、これしか無ぇがらよ」が口癖だった

祖父は70歳で、朝5時〜昼〜夕方7時という
ハードスケジュールで毎日働いた
手伝いに行った私の方が疲れてしまうと「無理すんな!休め」いう
私は休まず働き続けている祖父の姿が未だにまぶたに焼き付いている

祖父に異変が起き始めたのは私が高校にあがる辺りだった
まともに飯を食わなくなったのだ(白いご飯に水をかけただけのものと味噌汁くらい)
あまりの拒食さから祖母をはじめ、父の兄弟も病院にいくことを勧めたが、
祖父は断固として行こうとしなかった
私も病院に行くようにかなり語気を強めていったことはあったものの、
心のどこかで、じいちゃんは体が丈夫だから平気だなと思ってた


78 名前:祖父の思い出:04/06/23 03:16
そんな祖父も高3の春入院した
しかし、私は別段気にならなかった 
じいちゃんは丈夫だからと思ってたから
心配することもないと思っていたが、
父に連れられ一度見舞いに行ってみると血色もいいし、
「退院したらまたバリバリ働くぞ〜!」と非常に元気だった

ところが、予定の3週間の入院を終え、
実家に帰ってきたと思っていた矢先に病院を移転するという話・・・
なんで元気になったのに病院変えてまで再入院する必要あるんだよ?と
私は全く腑に落ちなかった

転院まで一週間家にいるということで、
祖父は畑に少し顔を出したり、散歩に行ったりした 
再入院するということなので私も心配して一緒に歩いた
丁度その頃、家の裏では八戸新幹線の陸橋工事をしていたのだが、
祖父は
「すっかり変わっちまったなぁ、ここも・・・わぁが婆と2人で耕した土地が今じゃ新幹線通る言うがらなぁ何か寂しいもんだ」と私に言った 
私は
「そうかなぁ・・・?」と返事しただけだった

それが祖父との最期のやり取りになってしまった


79 名前:祖父の思い出:04/06/23 03:16
入院してからも私はあまり心配してなかったので、
見舞いに行こうとは思わなかった
ただ、骨粗しょう症で通院していた祖母が毎日見舞いに行き、
その日どうしていたか漠然と聞くのみで、
私はといえば期末考査だーダルィな状況だった

期末考査一日目を終え帰宅すると、叔父が慌しく服を着替えていた
何かあったの?と尋ねると、
急に爺のの容態が悪くなったらしいんだじゃ・・・
ハァ?何言ってんのさ 
昨日だって見舞いに来た婆ちゃんに
ソバ食ってけ言ってたらしいじゃないの?
結局それから家に誰も帰って来ず、私は一人で帰りを待った
父から「今テストやってるんだからおめーは勉強しとけ」と言われた訳だが、
どうも落ち着かない 叔父の慌てぶりが気になってしょうがなかったからだ

深夜0時過ぎ 電話がかかってきて「爺死んだじゃ・・・・・・・・」
正直、訳分からなかった 死んだって・・・・・・嘘でしょ?
だってオラ転院してから一回も見舞いに行ってないんだよ!!!
そんなヤバイなら俺も連れてってもよかったじゃないか!!
初めてだった 
一度も父に怒ったことが無かった私が父に向かって罵倒したのは
それに認めたくなかった 
あんな頑丈な体のじいちゃんがそんな簡単に死んじゃうなんて
一時間後、真っ白な顔をして祖父が家に帰ってきた・・・
安らかに眠ったその表情を見て私は、声を上げて泣いてしまった
何で一度も見舞いにいってやらなかったんだ俺は!!
もう後悔ばかりが胸を打って涙が止まらず苦しかった 
人の死に目にあったのも初めてだったので
人が死んだときはこんな苦しい思いしなきゃならないんだと痛く感じた

その後父から祖父は、完治することが出来ない病気をもっていたと聞いた
もう罵倒する気は起きなかった


80 名前:祖父の思い出:04/06/23 03:17
祖父が亡くなった後すぐ、父は30年間勤めた会社を退職した
「体がもたねんだじゃ」という父だったが、
私には祖父の残した農業を繋ぎとめておきたいのだとよく分かった
テストも無事終わり、私も休日父と共に畑に向かった・・・
この畑で汗水流して働いていたんだなぁと思うと、
次から次へと涙がボロボロ
父もいつの間にか嗚咽を漏らしていた もう仕事どころではない

じいちゃん子だっただけに、私もその死は非常にきつかった
と、同時に残された祖母を大事にしていかなければならないと
強く決意できた

あ〜いかん!!カキコしてたら
祖父の元気だった頃思い出して、ボロボロだ
無駄に訳分からん内容+ヘボイ長文で申し訳ない


115 名前:大人になった名無しさん:04/08/04 09:45
両親が共働きで姉が生まれてから母方の祖父と同居、
私が生まれたときからずっとおじいちゃんいました。
ご飯つくりもおじいちゃん、
学校の参観日も町内の遠足もおじいちゃんが来てくれました。
だからおじいちゃん子で高校になっても
よく2人であちこち出かけたなあー。
私20歳で結婚したんだけど、そんときもうおじいちゃん90歳になってて
結婚式出席するのに両親おじいちゃん高齢だからだめって言ったんだけど
どうしても私の花嫁姿みて欲しかったから出席してもらったよ。
おじいちゃん私以上に結婚式緊張しちゃって好きなお酒がぼがぼ飲んじゃって気失って救急車で運ばれちゃった。
死ぬ2年前から寝たきりになってて私の顔もわかんなくなってたけど実家に子供2人連れておじいちゃんに会いに行って
おじいちゃんの部屋で一緒にご飯たべた。
今日が最後になるんかなっていつも思いながら
泣き泣き一緒にご飯たべた。
最後は間に合わなかったけど死に顔はきれいだった。
葬式の前の夜1人で棺桶に入ってる
おじいちゃんの顔ずっと朝までさわってた。
おじいちゃん、今までありがとうまた生まれ変わっても
私のおじいちゃんになってねって。
もうあれから10年たつんだけどいまだにおじいちゃん似た
人が歩いていると泣いてしまう。。


157 名前:連載1:2005/05/21(土) 11:23:16
今から3年くらい前になるだろうか。
2002年12月5日に俺のじいさんが死んだ。
死んでから聞かされたのだが、末期の肺癌だったらしい。
もう手術もできない高齢だったし、手術をしても治らないということで、
手術はしなかった。
癌の告知はされなかった。でもじいさんは知っていたと思う。
自分が癌だということを。
それじゃあ、そのじいさんの思い出話を、ちょっとしてみようか。

 

158 名前:連載2:2005/05/21(土) 11:24:27
小学校に入った俺は、親が二人とも会社勤めということもあり、
じいさんの家で、親が帰るまで、あずかられることになった。
じいさんの家の近くには遊び場というほどの遊び場はなかった。
でも、てれびくんとか、テレビマガジンなどのマンガがあったから、
それを読んだり、テレビを見たり、じいさんの家で夕飯を食べたり、
じいさんと一緒に風呂に入ったりしていたからそんなに暇ではなかった。
そして、小学校2年生くらいになったときには、
じいさんの家の近くでも友達ができた。
その友達とじいさんの家の近くの公園とかでサッカーをしたりした。
小学校には夏休みというものがあった。
夏休みの間は、親がずっと会社に行っていたので、じいさんの家でゲームをしたり、昼寝をしたり、塾に行ったりと、いろいろと忙しかった。
夏休み明けのマラソン大会があったので、
じいさんの家の周りを走ったりした。
でもマラソンが嫌いな俺は、マラソンを続けることはできず3日くらいで終わり、じいさんの家で蚊に刺されて、ずっと体を掻いていた。
2学期になったからといって、1学期と特に変わることはなく、
いつも通りの生活をしていた。
冬が近くなり、寒くなってくると、コタツが出てきた。
コタツの中に、ネコのぬいぐるみを入れて遊んだ。
小学校3、4年生になると、学校の影響で、性への興味が湧いた。
当時無知だった俺は、じいさんと性の話をした。
俺はほとんど性に対して、そう、いやらしいイメージしかなかったが、
じいさんは久々にまじめになって、
性とはなにか、語ってくれた思い出がある。
まだ、そういうことに気づかなかったりしていたので、
毎日のように、好きな女の子を想像して、自慰行為をしていた。
ほかにも戦争の話で盛り上がった。
学校で、戦争の学習をしていたので、
じいさんも戦争について知っているかな。と、思い、聞いてみた。
そしたら、実際、じいさんは戦争を体験したこと。
兵士として、戦争を体験したこと。
だが、戦争は嫌いで、
早く終わればいいと考えていたことなどを教えてくれた。
そんなこんなで、6年生になった。
名簿が学年で一番早い俺は、卒業式の時一番最初に呼ばれる
(卒業証書を受け取る)ことになっていた。
卒業式にはじいさんも来てくれると言ったので、
早く卒業式が来ないかとわくわくしながら待っていた。
6月頃からだろうか。じいさんと一緒に風呂に入っている時に、
「腰が痛い。」
と、言い始めた。
その時はまだ、
じいさんにも老化がとうとう訪れたか、としか考えていなかった。


159 名前:連載3:2005/05/21(土) 11:26:36
10月か、11月の初め頃、じいさんが風邪をひいた。
すぐに治るだろうと、考えていた俺は、じいさんが、
「まだ、家にいたっていいだろ?」
と、言うのを、「宿題がある。」と、言って家に帰り、自慰をしていた。
その時の
「そうか、じいちゃんが嫌いになったか。」と、言う言葉が
今でも頭から離れない。
ずっとじいさんは俺を愛してくれていた。
じいさんに嘘をついて、裏切るというのに罪悪感を感じたが、
馬鹿だった俺は、自分の欲求に負けてしまった。
昔、じいさんの財布から金を盗んだこともあった。
理由は自分の欲しいものを買ってくれないから、
金を盗って買おうと思ったからだった。
もちろんじいさんにも怒られたが、
じいさんは親にちくると言うことはなかった。
その代わり、コロコロコミックを毎月買ってくれるようになった。
ほかにもゲームなど、欲しいと言えば買ってくれるようになった。
そんなじいさんに、疑問を感じてはいたが、
自分の欲求を満たせるので、あまり深くは考えなかった。
そんな幸せが、11月の終わりごろに崩れた。
じいさんが入院をした。
俺はまだ気づかなかった。
ただじいさんは風邪をひいたんだ。
風邪をこじらせただけなんだと考えていた。
ばあさんもじいさんと一緒に住んでいた。
でも、じいさんが入院してから、
デイサービスの人が介護してくれることになった。
なので俺は学校から帰るとまっすぐ自分の家に帰ることになった。
親はいないのでとても暇だったが、テレビを見たり、ゲームをしたりしていたので、暇は解消できた。
時々、じいさんのお見舞いや、ばあさんの家の手伝いに行ったりした。
ある日、じいさんのお見舞いに行くという約束を忘れて、
友達と遊んで帰ったことがあった。
電話が親から来たので、言い訳として図書館に行っていたことにした。
そして、親が帰ってきた時、じいさんから伝言があったらしく聞いてみた。
「図書館に行くなんて、勉強熱心だなぁ。がんばれよ。そうか、図書館に行ってるんだったら、仕方ないな。あの子は嘘をつかないからな。」
泣いた。じいさんへの申し訳なさと、じいさんの俺への愛情を裏切ったからくる後悔の念か。風呂の中でないた。
湯船に顔をつけて、泣いていないように見せたが無理だった。


160 名前:連載4:2005/05/21(土) 11:27:34
学校に行った。
たしか4限の体育だったろうか。
教頭先生が、体育館にやってきた。
担任の先生に俺はどこか聞いていた。
俺は鉄棒をしていた。
6年だったが、逆上がりができずに苦労していたときだった。
担任の先生に呼ばれ、教頭先生のところに行った。
「なんですか?」と、聞いた。
ある程度のことは予想できた。
なんという言葉が返ってくるかもわかっていた。
「君のおじいさんが亡くなったから、病院に来てくれとのことです。」
あらためて言われると悲しかった。
でも泣かなかった。
じいさんに泣くなと言われていた。
泣いたら宝(じいさんにとって俺は宝のようなものだったらしい)を
やめると言われていた。
廊下を走り、すぐに着替え、とっとと学校を出た。
途中で、ほかの先生に不思議な目で見られたが
気にしている暇はなかった。
その日はひどい雨だった。
外に出て、タクシーを待った。
兄がしばらくして、高校の方から来た。
「先生にさようならって言ってきたか?」
兄の言葉に首だけ動かした。
顔を見ることはできなかった。
顔を見ると涙が出そうだった。
だから見れなかった。
タクシーに乗って、病院に行った。
すぐにエレベーターに乗って、じいさんの病室に行った。
今の今まで、じいさんが死んだのは嘘だと信じていた俺だが、
顔の上にかけられていた白い布が、
じいさんが死んだのは嘘でないことを俺に教えていた。
母さんや、親戚のおじさんや、ばあさんも病院の中で泣いていた。
白い布を取ってみると、俺も涙が出そうになった。
するとすぐに、葬儀場にじいさんを送ることになったので、
俺もついていった。
じいさんを葬儀場の部屋に置かせてもらった。
線香のにおいは好きじゃなかったが、
なぜだかそのにおいはじいさんのにおいの気がした。
その夜俺は眠ることができなかった。
ただ単純にじいさんがこの世からいなくなっただけだったら眠れたと思う。
でも、俺はじいさんを裏切り、嘘をついた。
じいさんがまだ居て欲しいと思っていたはずなのにそれを振り切り、自慰の方を優先した俺が恥ずかしくて仕方がなかった。
なぜ、あの時俺はあんなことをしたのだろう。
じいさんは最期の時まで俺を信じてくれていたはずだ。
なのに俺はそのじいさんを裏切った。
葬式の最中も俺は泣かなかった。
と、いうよりも、人前でじいさんに関係のあることで泣いたことはなかった。
宝をやめられるのが嫌だから。もう、じいさんを裏切りたくなかったから。
泣かないということが辛いと感じた。
卒業式には、母さんが、じいさんの遺影を持って来てくれた。
俺は、遺影を確認できなかったがなぜだかじいさんが居てくれている。
そんな気がした。
卒業証書をもらったとき、俺はなんとも思わなかった。
思えなかった。
ひどい緊張で、なにも考えられなかった。
学校から帰り、風呂に入っている時、じいさんについて考えた。


161 名前:連載5:2005/05/21(土) 11:28:22
具合が悪くなって学校を早退すると、
じいさんが「病院行くぞ」って言ってくれた。
小さい頃から、入院ばかりしていた俺をずっと付き添ってくれていた。
俺もじいさんが好きだった。
小学校1年生くらいの頃は、一緒にサッカーをやった。
じいさんは俺が産まれて少しの間はタバコを吸っていたらしい。
でも、医者から「お孫さんに悪い」と言われてからは
きっぱりとやめてくれた。
そんなことを考えていたら、いつのまにか泣いていた。
じいさんが寝込んでいたときに戻りたい。
宿題があると、嘘をついた頃に戻りたい。
でも、それは無理だった。
過去に戻るなんてことはできなかった。
自分の無力さに泣いた。
自分のした過ちに泣いた。
今でも時々、じいさんのことを考える。
そして今でも、過去に犯した過ちを悔やむ。

 

絶対に後悔しない生き方はできないかもしれない。
でも、目先の欲に負けてはいけない。
過去には戻れない。
でも、未来は予想できる。
よく考え、後悔しない生き方をしよう。
それをじいさんは自分の死をもって、俺に教えてくれたのかもしれない。


175 名前:大人になった名無しさん:2005/08/31(水) 02:34:40
高校生のとき、
いろいろ面倒くさくなって無性に学校を休みたくなった日があった。
それで体調悪くないのに休もうとしたら当然母に叱られた。
それでもやっぱり学校に行きたくなくて、居間でぼーっとしてたら
おばあちゃんが来て、「今日学校休むんか?」って聞いてきたから
「うん。なんか面倒くさくて・・・」って言った。
そしたらおばあちゃんは笑って、
「そっか。ゆっくり休め。」って言ってくれた。
なんだかその言葉を聞いたら、
くだらない理由でずる休みしてる自分がばからしくて、
おばあちゃんの優しさが申し訳なくて涙が出た。
本当にあの時責めずに味方してくれてありがとう・・・


177 名前:大人になった名無しさん:2005/09/07(水) 03:12:49
私はおばあちゃんとは一緒に住んでいなかったけど
同じ市内に住んでいたから時々泊りに来てくれていた。
私は2人姉妹の長女で幼稚園の時、
友達がエレクトーンを習っているのを知って
親に「私も習いたい」と言ったら「うちにはエレクトーンないでしょ」
と言われて習わせてもらえなかった。
なのに妹が幼稚園に入り「エレクトーン習いたい」と言ったら
エレクトーンまで買い与え毎回妹のエレクトーン教室についていってた。
そういう時、私は家で1人で留守番させられていた。
当時私は小学1年生、
学校から帰るとテーブルの上におやつと母の書き置き。
私は悔しさと寂しさでいつも1人で大声で泣いていた。

そんなある日、妹のエレクトーン教室の日「今日も1人で留守番だ・・・」
と思い暗い気分で家に帰ると車はないのになぜか縁側(庭側)の窓が開いていて網戸になっていてそこにはおばあちゃんの靴が!
おばあちゃんが来てくれてるんだ!と嬉しくてダッシュで家の中に入り
「おばあちゃーん!」と叫ぶと台所から
おばあちゃんの「○○ちゃんお帰り〜」
という声が!そして台所からは甘いにおい。
「○○ちゃんが帰ってくるの待ってたよ、ビックリさせようと思っておばあちゃん来ちゃった!一緒におしるこ食べよう」
おばあちゃんに抱きついて、嬉しさで涙が止まらなかった。
母から妹のエレクトーン教室に行くから私1人で留守番というのを聞いて
わざわざ遠いのに私のためにバスで来てくれた。
おばあちゃんのおしるこすごくおいしかった。
おばあちゃん10年前に亡くなったけど、
今でもその時のうれしさは忘れられない。
こんな私だけど天国から見守っていてください。


185 名前:大人になった名無しさん:2005/11/29(火) 21:42:36
週末以外ほとんど親から放置されてた俺達を育ててくれたのは、
ばあちゃんとじいちゃんの二人だった。
じいちゃんは物をつくるのが好きでよく色々なものを作ってくれたりしたし、ちょっとした路上の喧嘩の仲裁なんかもやれる昔気質の強い人だった。
それが変わったのは小学校高学年の時。
じいちゃんがすい臓ガンで入院した。
以前から入退院を繰り返していたが、
子供心にすぐ出てこれるなら大したことは無いと馬鹿な事を考えてた。
それで、さほど心配せずに家族で夏休みに母の実家まで遊びに行った。
出発前の見舞いで病室に入った時から妙な感じはしていたが、
それでも遊びに行く事に頭が一杯で気にはしなかった。
今でも行きの車の中で『まさか』と軽い気持ちで想像してた自分を絞め殺してやりたいと思っている。
その『まさか』がその日の夜に起きた。

 

186 名前:上の続き:2005/11/29(火) 21:43:16

電話が掛かってきて両親も母方の祖父母も、
慌ててテレビを見ていた俺と姉ちゃんを車に押し込んで病院に向かった。
その時には車の中で必死に祈ったのを覚えている。
俺があんなバカな想像したから
じいちゃんが死んじゃうって本気で思ってた。
だから、『言う事聞くから、悪い事しないから』って、
ガキなりばあちゃんの影響で信じていた仏様に祈ったよ。
ドラマなんかでよく走って病室まで行くけど、
そんな事は無く皆無表情で早足に病室に向かった。
既に家に残っていたばあちゃんや、
他の親戚達は病室に居てベットを覗き込んでいた。
病室に到着した時には意識不明。
当時の俺にはそんな事よくわかんなかったから目をつぶっているだけに思えて、必死で泣いてじいちゃんの手を握る大人を掻き分けて枕元で
『起きて』って言い続けた。
そんな俺や家族の声に気付き、最後の言葉を残したじいちゃんは、
やっぱり強い人だったんだと思う。
じいちゃんが殆ど開かない目で、酸素吸入器と管が通った口を苦しげに持ち上げて笑いながらうわ言みたいに言った。
「ありがと」って。
声が掠れてよく聞き取れなかった一言だけを残して心臓が止まった。
言葉を聴いた瞬間大人達は泣いた。
母は泣き崩れて、父は強く閉じた目から涙を流した。
どんなに辛そうでも笑ってたばあちゃんも座り込んで泣いてた。
今思えばきっとこれが最初で最後の涙なんだと思う。
ただ一人泣かなかった俺も、
医者が心臓マッサージを止めた瞬間涙が溢れ出た。
これ以上は体を傷つけるだけだなんて、
馬鹿な事言ってないで続けろよって言いたかった。
何より、手の掛からない子供だった姉ちゃんはありがとうを言えたのに、
手の掛かるクソガキだった俺はありがとうもごめんなさいも出来なかった。

 

187 名前:上の続き2:2005/11/29(火) 21:43:49
一晩中泣いて、部屋の隅で座ったまま布団をかけられて寝ていた俺が目を覚ました時には部屋に祭壇が出来ていた。
やっぱり、じいちゃんは死んだんだと思い知らされてまた泣いた。
目を腫らしたまま起きてくる中で、ばあちゃんだけが元気だった。
当時ガキだった俺にはわからなかったけど、
あれはきっと空元気だったんだな。
それから何時の間にか通夜や告別式は終わっていて、
じいちゃんは灰になった。
納骨式で火葬業者がじいちゃんの骨を砕いたシーンを見て、
腹が立った後に悲しくなってまた泣いた。
その日は腹が立つぐらい晴天だったが、
きっとあの綺麗な空に昇れたのだろうと思っている。

それから10年近く経った今でもばあちゃんは毎朝お経を読む。
迷わないように、大丈夫だからって知らせたいからだと教えてくれた。
じいちゃんが死んでからも、ばあちゃんはいつもニコニコ笑っている聖人みたいな人だけど、ふと寂しそうにじいちゃんの遺影を見ている。
いつじいちゃんの所に行ってもいいよ、とも言うようになった。
なぁ、じいちゃん。俺、でかくなったけどバカのまんまだよ。
だから叱りに来てくれよ。ありがとうもごめんなさいもまだ言い足りないよ。
ばあちゃんにも一度顔見せてやってよ。夢でも何でもいいからさ。

以上、長文スマン。
吐き出して楽になったよ。


201 名前:大人になった名無しさん:2006/02/08(水) 04:22:10
両親が共働きだった事もあり、
子供の頃はずっとばあちゃんに面倒を見てもらっていた。
すぐに妹・弟が生まれ、親に手をかけて貰えず育った俺を不憫に思っていたのか、ばあちゃんは妹や弟より、俺の事を随分可愛がってくれていた。

それから随分と年月が経過して・・・
中学以降荒れた俺は、高校を中退して遊び歩くようになった。
親はほとんどサジを投げてしまっていたが、ばあちゃんだけはいつまでも
俺の事を心配してくれていたらしい。

今は更正してはいるものの、
何事もやり遂げる事を知らないままに育ったツケが回り
仕事も長続きせず、すぐ辞めるを繰り返し今に至る。

ばあちゃんはまだ、ピンピンとはいかないものの生きてくれている。
しかし85を過ぎる高齢となった今、きっとそう長くはないのだろう

このスレを読んで、
生きているうちにばあちゃんを安心させてやりたいと思ったよ。
正直少し人生を投げかけていたが、
俺を想ってくれている人が一人でも居るうちは諦めないで頑張ろうと思う。

長文乱文すまんかった。





おじいちゃん ずっと元気でいてね
guideline at 04:51│Comments(12)泣ける |編集

この記事へのコメント

※1. Posted by     2006年02月11日 05:12
全部読めない
思い出して泣きそうになるわ・・・

※2. Posted by wwwwwwwww   2006年02月11日 13:50
泣いた。。

※3. Posted by 泣   2006年02月11日 22:27
俺の婆ちゃんも優しかったなぁ…
64で死ぬなんて早すぎるよ…

※4. Posted by 'A`   2006年02月13日 00:20
じいちゃんの葬儀の時に、10才離れた弟(当時3才)が俺に「おじいちゃん写真になっちゃったの?」と聞いてきた。
なんて答えたか覚えてないんだが、母親にそのことを告げた時、2人で泣くのをこらえてた。

※5. Posted by ・・・   2006年02月18日 18:43
号泣した。
でも気分的に綺麗になっていろいろちゃんとしようと思った。

※6. Posted by by   2006年02月20日 01:23
全米が号泣した

バーチャン ジーチャン

※7. Posted by Fishing Knots And Rigs   2006年05月29日 15:23
5
The problem is my browser.

※8. Posted by Debido Proceso   2006年05月30日 03:41
5
Good idea :)

※9. Posted by Casino Games Bac   2006年09月10日 14:53
5
Thats correct :(

※10. Posted by uhe   2006年10月08日 18:07
駄目だ・・こういうのには弱い・・。
あれ・・?涙が・・;;

※11. Posted by ジョナサンジョーンズ   2007年04月15日 18:41
今高1だから、、。
小5くらいだったかな。
俺のじいちゃんは亡くなった。
あなたはやさしかった。
母方の父で、俺の家にいるわけではなく、親の実家に行かなきゃ会えなかった。
お婆ちゃんが言うに、朝も元気だったそうだ。
それが、いきなり亡くなり、急に俺の前からいなくなった。
そのとき、真に「死」って物を知った。
心にぽっかり穴が開く、まさにそんな感じだった。
死に際に会えず、言えなかったことをここで言うよ。
   ありがとう。楽しかったよ。そして、いつか、少し遠いかもしれないけれど、俺もいつかそっちに逝くよ。
  でも、やっぱり、時々さびしくなるよ。
  今1週間高校生活送ったけど、正直、もうすぐにでも辞めて、東京の専門学校に行って、声優になりたい。
     夢を追いたい。
  あなたの言葉が聞きたいよ、、、、、。

※12. Posted by s    2008年04月08日 19:31
ダメだ。
目がかすんできた

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